2010年に1300年記念事業が行われた奈良の平城京。奈良も盆地です。都の規模は京都に近いのですが、こちらは数十年で放棄されてしまい、いくつかの遷都を経た上で、794年には京都に落ち着きます。ではなぜ短命に終わったのでしょうか。 This blog is kept spam free by WP-SpamFree. 【終了しました。参加頂きましてありがとうございました。】宮川町にあるカフェ「ろじうさぎ」にて、2014年1月19日(日)に、京都の歴史災害を解説する特別講座を開催します。千年の都である京都だからこそ残された災害の記録やその痕跡、被害拡大の原因やいざという時の備えなどを解説。 震源地は、内浦湾(北緯41.9度、東経141.0度)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は2.4と推定されます。 この地震による津波の心配はありません。 この地震により観測された最大震度は2です。 このプロジェクトは、2017年に歴史地震の研究グループである 京都大学古地震研究会 によって、地震史料の翻刻プロジェクトとして始まりました。. 参考として 京都市市民防災センターの災害の歴史 を見てください。 それらの地震の中でとくに有名なのが、慶長元年(文禄五年,1596年)の慶長伏見地震です。� 金田平太郎1)・吾妻 崇1)・吉岡 敏和・寒川 旭2). 1596年9月5日 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - m7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上 17世紀前半 千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定 内容. 京都地震(きょうとじしん)は、1830年8月19日(文政13年7月2日)に発生した地震[1]。京都大地震とも文政京都地震とも呼ばれる直下型地震で、京都市街を中心に大きな被害を出した。, 宇佐美は、震央を京都府亀岡市付近と推定し、地震規模はM6.5±0.2とした[2]。また被害状況は、1662年寛文近江・若狭地震と似ているとしている[3]。, など諸説ある[4]。大邑(2014)は亀岡盆地北東部や園部の被害は軽微であり亀岡断層、神吉・越畑断層で発生したとする説に疑問を呈し、愛宕山周辺であるとしている[4]。また、2000年代に行われた亀岡断層での周辺での地形学的調査や地質学的調査(P波による反射法地震探査やボーリング調査など)の結果からは、亀岡断層が起震断層であったとする結果は得られていないと報告されている[5]。, 京都市街地を襲う内陸型の地震であった。二条城や御所では石垣や塀が崩れ、町人街では土蔵に被害が集中した[6]。被害は京都市内だけでなく、伏見、宇治、淀でも生じた。西山(2010)は、天明大火以降急速に普及した倒壊しやすい桟瓦葺屋根(波形の瓦葺き屋根)が被害を拡大したと分析している[3]。, 『甲子夜話』の記述では、市中の二階建ての建物はことごとく倒壊し、土蔵や塀なども大きな被害を出したと伝えている[3]が、御所や公家屋敷地区では壊滅的な被害ではなかった。, 『文政雑記』の記述によると、町方の人的な被害は怪我人 1300人、即死280人であるが、御所内や武士の犠牲者数は不明である。, 著名な建築物や寺院も例外ではなく、二条城、興正寺、北野天満宮など多数の建築物が被災している。, “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”, https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20200824-00194508/, 文政京都地震(1830年)における京都盆地での被害要因の検討 -桟瓦葺屋根の普及による被害の拡大-, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=京都地震&oldid=80692562. 歴史災害を復原することは、過去の人々の災害への対応や考え方を知ることと共に、減災の知恵を学ぶことでもある。. 20世紀以降に近畿地方(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)で起った、大きな地震についてまとめてみました。 All rights reserved. 京都を襲った大地震は平安時代から記録が残ります。827年8月の大地震(月日は現代の暦に換算)では家屋が多く潰れ、余震は翌年6月まで続きました。887年の大地震は南海トラフに伴うもので、五畿七道で津波被害が発生し、京都では圧死者が多数生じました。 京都市は内陸活断層の密集する地域にあり、過去数10万年の間続いている活断層の運動で形成された都市であり、規模の大きな地震が発生し強振動を経験する頻度が高い都市です。. く北北東-南南西走向の右横ずれ活断層ですが, 1662年寛文地震(マグニチュード7 1/4~7.6;宇佐美, 1996)の際には,その北半分のみが活動したと考えら れています(3. 平成22年4月 京都府防災会議が京都府戦略的地震防災対策指針及び推進プランを了承 京都府における具体的な減災目標の設定と取組の推進及び推進状況の公開; 平成23年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災… 京都府周辺の活断層と歴史地震・古地震. 本書では、歴史上、京都を襲ったさまざまな災害をとりあげ、地理情報システム(GIS)などによる災害範囲や規模の復原、特徴や被害発生の社会的背景の分析、また人々の取り組みなどを論じる。. 気象庁による統計1923年以来2018年までに、京都府を襲った震度5以上の地震は「6回」起きています。 他の都道府県と比べると、 京都府は大きな地震の回数がやや少ない地域 といえます。 近年に起きたものとしては、1944年(昭和19年)の東南海地震、1946年(昭和21年)の南海地震があります。 この2つの地震では、強い揺れや大きな津波により、2500名余りの死者がでています。 古地震研究会とniconicoが協力して,【みんなで翻刻してみた】~地震の歴史を発掘せよ~というプロジェクトを開始します, 最初の企画として,ニコニコ生放送で放送します.第1回は,【みんなで翻刻してみた】初級編です.詳し […] © 2021 京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド・京都散策~. 東日本大震災から3年が経ちました。今回のブログでは、過去に京都を襲った大地震について書いてみます。, もう3年、まだ3年、様々な思いがよぎります。衝撃的な出来事でした。当時、既に災害について個人的に様々に学んでいたものの、いざ起こってしまうと、ショックでなりませんでした。いくつかの偶然があって、地震から12日後に東北に入る機会があり、津波によって大きな被害を受けた、気仙沼、南三陸、陸前高田、志津川、石巻など、各地の様子を目にしてきました。一緒に行った父と立ちつくすことも何度もありました。, 見て来たことを忘れないよう、当時長文の手記を書いていました。そのほんの一部を引用します。「途中、本吉に差し掛かる辺りから突如津波被害の光景が広がりました。それまでは本当に普通の道だったのに、突然何もかもが破壊された景色に変わりました。流された車、家、破壊された丈夫な建物、散乱する人工物、土煙…そこがもとどんな場所だったかを想像するのが難しい光景です。道路は、アスファルトは流されていますが、なんとか通れました。おそらく道を優先して復旧し、通れるようにしたのだと思います。気仙沼は電気は来ておらず、信号は止まりトンネルも真っ暗でした。途中にはJRの線路が流されて無残に曲がっている場所もありました。ガソリンスタンドには500m以上の長蛇の列ができていました。後で聞いた話では、この日、震災後初めて気仙沼のスタンドが開いたそうです。中には足こぎ式のポンプでスタンドの地下から汲みだす姿もありました。別のセルフのスタンドは閉まったままでしたが多くの車が並んでいました。でも、帰るときには朝と変わらず閉まったまま。ここは開かなかったようです… 」, 昨年のブログでは「直下型地震」について過去の事例を元に学べることを書きました。今年は、過去に京都を襲った大地震について書いてみようと思います。京都にいると「京都は地震が起こらない(から大丈夫)」という話を、驚くほど多くの人が口にします。しかし、それは誤りです。たまたま近年大きな地震に見舞われていないだけで、歴史を紐とけば数々の大地震に襲われた記録が残っています。全国的に見ても、京都ほど長く細かく地震の様子が残されている都市は稀です。にもかかわらず、過去から学べる知見を多くの市民が知ることなく「地震は起こらない」と思っていることは、非常に残念なことです。過去を知ることで、現実感を持って防災への意識を高め、いざという時に備えて頂きたいと願っています。「知っていれば防げる不幸」があるはずです。, 京都を襲った大地震は平安時代から記録が残ります。827年8月の大地震(月日は現代の暦に換算)では家屋が多く潰れ、余震は翌年6月まで続きました。887年の大地震は南海トラフに伴うもので、五畿七道で津波被害が発生し、京都では圧死者が多数生じました。938年の天慶の大地震では、宮中で4名が亡くなり、寺にも多くの被害が発生しました。その約40年後、976年の大地震では家屋の全壊が相次ぎ、50名以上が亡くなりました。, 平家が滅亡した1185年にも大地震が襲いました(文治地震・元暦の大地震)。平家が寄進した大寺院はことごとく倒壊し、人々は世の無常を嘆きました。地震直後は普段でも驚くような揺れが1日に20~30回、10日ほど過ぎてようやく減りだしましたが、収まるまで約3カ月ほどかかりました。実はこの地震の様子は、鴨長明の「方丈記」に詳しく書かれていますので、以下引用してみます。, 「山はくづれて、河を埋(うづ)み、海は傾(かた)ぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土裂(さ)けて、水涌き出(い)で、巌(いわお)割れて、谷にまろび(ころげ)入る。 (中略) 塵灰(ちりはい)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす(押しつぶされそうになる)。走り出(い)づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか。」, いかがでしょうか。900年以上も前の地震の様子が、ありありと目に浮かんできます。方丈記には他にもいくつかの災害の記録が残されており、しかもすぐに読めるほどの文量です。読書の速い方ならば1時間もかからないでしょう。現代語訳も書かれた本が図書館に必ずありますので、ご一読いただければと思います。, 1317年の大地震は、強い揺れや余震が多く、群発地震とも考えられています。揺れに伴い、清水寺も出火したとされます。室町時代の1449年の大地震では、洛中に被害が大きく、死者も多数出ました。豊臣秀吉の時代に襲った1596年の慶長伏見地震は、震源断層が有馬・高槻構造線とされ、震源地により近い伏見で被害が大きく、伏見城は天守が崩壊。二の丸では女房(侍女)が300人余り、城下町では1000人余りの人びとが亡くなったとの記録も残ります。また、築年数の古い家屋が多かった下京で被害が多く、大阪から移転してきた本願寺の寺内町も、家屋の強度が低下していたのか無事な家は一軒もなかったと伝わります。方広寺の大仏も破損し、人びとはおろか自分の身さえも守れなかった大仏に向かって、秀吉は怒りのあまり矢を放ったと伝わります。, 江戸時代、1662年には寛文近江若狭地震が発生しました。震源域は琵琶湖の北西地域。巳刻(みのこく:午前9時~11時頃)に、若狭湾に面する日向(ひるが)断層が動き、午刻(うまのこく:午前11時~午後1時頃)に、花折(はなおれ)断層北部が動いた双子地震であったという説もあります。京都では、伏見や淀など、地盤が弱い地域で大きな被害が発生した他、八坂神社の石鳥居をはじめ多数の石灯籠も倒壊し、圧死者も出ました。, さらには、デマによる騒ぎも発生しました。浅井了意の「かなめいし」によれば、「豊国神社の周りは揺れなかった」とのデマによって参拝者が殺到し、境内に生えていた草や木を残らず持ち帰って、各々家の玄関に刺したのです。ただ、徳川の世においては豊国神社への参拝はよくないことで、役人が取り調べて懲罰を与えるとの話も広まったり、続く余震に効果がないことがすぐに知れて、人びとは採ってきたものを慌てて家の中にしまったということです。, 下御霊神社では、揺れに驚いて、とにかく何かにつかまろうとした子ども二人が、灯籠にしがみついてしまったところ、ほどなく灯籠が倒れ、たいへん無残に亡くなりました。他にも土蔵が崩れて妊婦が亡くなったり、八坂神社の高さ約9mもある石鳥居が崩れたり(鳥居は現存)と、現在の我々が知っている場所でも被害が出ています。地震の時には、灯籠や石鳥居、塀など不安定なものには、絶対に近づかないようにして下さい。, 1830年の京都大地震が、阪神淡路大震災を除けば京都市街地を襲った最後の大地震です。もう180年以上前のことですので、今京都に生きる人たちはほとんどが大きな地震を経験したことがなく、「京都に大地震が来ない」という気持にもなってしまうのでしょう。この地震では、京都各地で築地塀や町家が倒壊しました。1788年の天明の大火後、町家にも瓦屋根が普及したため屋根が重くなり、被害が大きくなったと考えられています。, 各地で詳細な被害状況が残されていて、研究書を読めば、もうありありと状況が想像できます。八坂神社や北野天満宮では石灯籠がことごとく倒れました。現在も神社の参道には数多くの石灯籠が立ち、もし天神市の日にあれが参道に倒れてきたらと思うとゾッとします。一条戻り橋では、橋のたもとにあった蕎麦屋が堀川に崩れ落ちて6名が亡くなりました。二条城や方広寺では大きな石垣が動き、耳塚に立つ石塔の上の部分も落下しました。この地震でも余震が長く続いています。, ここまで読んでいただいた方はお気づきかもしれませんが、京都の大地震には「余震が多い」「余震が数ヶ月と長く続く」という共通点があります。避難した人を精神的にも苦しめ、揺れが繰り返されることによる二次被害も心配されます。ただ、余震が長く続くということを知っているだけでも、心の準備はずいぶんと違うでしょう。「石灯篭が倒れやすい」というのも共通点です。今でも各地に石灯篭・石鳥居が立ち、観光客が巻き込まれてしまう可能性も大いにあります。, そして過去の京都の事例ではありませんが、条件が悪いと火災によってさらに被害が大きくなる可能性もあります。京都は太平洋戦争で壊滅的な空襲被害にあわなかったため、大都市でありながら古い木造家屋や社寺が数多く残っています。通りも狭く、地震の際は消火も行き届かないため、火災のリスクは大きいのです。天明の大火の際には、火は鴨川を越えたり、堀に囲まれている二条城の本丸さえも燃やしています。離れていても強風時の風下は危険で、避難をする際にも風向きには十分に注意をして下さい。関東大震災の時には、避難場所に猛火が襲い、数万人の単位で焼死者が出たという恐ろしい事実もあります。, 以上、長文をとめどなく書いてきましたが、何をお伝えしたいかと言えば「京都もいつ大地震に襲われても不思議ではない」ということです。そして、過去の出来事を詳しく知って頂くことで、できる限り同じことが繰り返されないようにと願ってやみません。近年は、地震に対する防災意識が高まって来ています。以前に比べれば、たいへんよいことです。いざという時に、少しでも多くの方が助かることに繋がればと願っています。, 気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。. 701年(大宝元年):大宝地震(丹波国の地震)京都府阿蘇海で大津波 850年(嘉祥3年):出羽地震による津波 869年(貞観11年):貞観地震(マグニチュード8.3から8.6程度)仙台から多賀城付近で津波 消防防災博物館はインターネット上の仮想博物館です。ひろく国民のみなさまに、消防防災に関する知識、コミュニケーションの場を提供するために設立されました。 すでに「みんなで翻刻」では、5000人の人々により600万文字もの史料が翻刻されています。. 599年 大和地方 M7.0 684年 白凰地震(南海トラフ) M8.4? 715年 遠江(静岡県西) M6.5~7.5 745年 美濃 M7.9 818年 関東 M7.5 830年 出羽地震 M7.0~7.5 850年 出羽地震 M7.0~7.5 868年 播磨国地震 M7.0程度 869年 貞観地震(三陸沖地震) M8.3 878年 相模・武蔵地震 M7.4(首都直下型地震) 880年 出雲 M7.0 887年 仁和地震(南海トラフ地震) M8.0~8.5 880年 出雲地震(島根) M7.0 880年 出雲地震 M7.0 938年 京都地方で地震 M7.0 1026年 島根県西部 万寿地震 M7.5 1096年 永長地震(南海トラフ地 … 国立歴史民俗博物館・京都大学古地震研究会・東京大学地震研究所のメンバーを中心に開発を進める古文書史料の市民参加型翻刻プラットフォーム「みんなで翻刻」(※1)が、2019年7月22日にリニューアル公開されます。 京都市の災害の歴史. 2018年6月18日の朝7:58頃に大阪と京都で大きな地震がありました。最大震度は大阪府南部で震度6弱、京都でも震度5強となっており、建物は大きく横揺れとなりました。床から突き上げるような小刻みの強い揺れが、たぶん横揺れだと思われます。内陸の地震なので津波の心配はないと思われます。 1596年(文禄5年・慶長元年)9月5日の午前零時頃、京都は激しい揺れに襲われました。豊臣秀吉が築いた伏見城の天守が崩れ、東寺・天龍寺・大覚寺・二尊院などの建物も倒れ、京阪神と淡路島が大きな被害を受けました。この地震を引き起こしたのは、有馬―高槻断層帯などの活断層です。 京都地震(きょうとじしん)は、1830年8月19日(文政13年7月2日)に発生した地震。京都大地震とも文政京都地震とも呼ばれる直下型地震で、京都市街を中心に大きな被害を出した。 京都市市民防災センターは、災害の疑似体験を通じて防火・防災について学んでいただける施設です。見る、聴く、触れる、感じる! 防災体験 京都市市民防災センターへご家族おそろいでお越しください。 2021.01.06 New 当研究所特別研究フェロー 土岐憲三先生「重要文化財建造物数 全国1位の京都 - 地震災害から文化遺産を守る」についての講演のお知らせ; 2020.12.25 New 「第15回歴史都市防災シンポジウム」開催と投稿論文募集について この他にも、734年・887年・938年・976年・1185年・1449年・1510年・1586年・1662年・1830年など度々京都・畿内は地震に襲われています。 1 京都市の地形・風土・気候 京都市は京都府の南部に位置し,東 には比叡山,東山連峰が優美な姿を見 せ,北は愛宕山,北山の連山がそびえ, 西の諸峰は保津川を挟んで,嵯峨,嵐 山の山渓を作り,南は大阪平野に開け ている。. 第1章 京都市の歴史的風致形成の背景. 近畿地方の地震年表. 特定の活断層でなく,歴史地震と京都の地質から地震が発生した 時の揺れを想定。関東大震災がモデルで火災被害が主眼。 h9 第2次地震被害想定 活断層調査に基づき,花折,西山,黄檗 の3断層による地震と南海地震による 被害想定。建物倒壊が被害の主眼 938年 5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - m7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。 976年 7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - m6.7以上、死者50人以上。 11世紀 ―50―金田平太郎・吾妻 崇・吉岡 敏和・寒川 旭 地質ニュース 615号. これまで日本は、何度も地震の惨禍に見舞われてきました。その経験があったからこそ、地震に対する知恵や工夫も蓄積されてきました。復興して、元の生活を取り戻すためにもこの過去の惨事に目も背けることなく進み続けなければいけません。 平安の色彩が蘇った平等院を見に行きませんか?見渡す限りツツジが咲く三室戸寺からガイドします!, どこに行くか分からないガイドツアー!ルーレットを回して京都の碁盤の目を練り歩きましょう!. https://jishin.go.jp › regional_seismicity › rs_kinki › p26_kyoto
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